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待降節2023

なんかもう百万回くらい言ってる気がしますが、ドイツの夏は大好きだけど、ドイツの冬は 
だ い き ら い !!!!!
毎日どんどん暗~く寒~くなり気温は氷点下になり雪がちらつき来る日も来る日もどんより曇りでお天道様を最後に見たのはいつだっけ?状態の11月は特に苦手で、いっそ春まで冬眠したい!何年住んでも慣れない~!とドイツ人に愚痴ると、結構な割合で「自分はここで生まれ育ったけど冬は苦手」という返事が返ってきます。それでもアドベント期間に入りクリスマス市が始まると、少なくとも一つはキラキラがある、とちょっとだけ慰められる心地が。
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元隣家のS夫人は今年もキャンドルリースとアドベントカレンダーを届けてくれました。↓
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昨日はギムナジウムのコンサートでした。12月にこういう教会でベートーヴェンの第九とか演奏されると、実力が5割くらい水増しされて、若干ずるい気がする。↓
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個人的にこの時期唯一の推しポイントとして、クリスマスグッズが巷に出回るため、ペンギングッズが大増殖します。そもそも私はスーパー以外のお店に滅多に行かない超地味生活だし、お財布の事情もあるのでぺものを見かけても5回に4回はスルーしているのですが、それでもちょこちょこつかまっちゃいます。今年の大物はこちら。↓
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ペギーちゃんと命名。ちなみに生き別れた父はペン太、母はギン子です(昔どっかの水族館にそんな名前の一家がいた)。毎日6時間自動点灯できる賢い子。15ユーロ弱。 夫がよく行くスーパーの特売チラシで見かけたので、食料品の買物メモにしれっと書いておいたら、「なんで?」と問われた。何を今さら笑止千万!と思ったものの「先月のお誕生日に貴方から何もプレゼントをもらってないからよ162.png」とこじつけて逃げ道をふさいだ。

ALDIで買ったクッキー。5ユーロ弱。↓
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NANU NANAで買ったミニカップ。1.95ユーロ。こっそり飾り棚に入れて満喫してるけど、たぶん家族は誰も存在に気付いてない。↓
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dmで買ったボディシャンプー。55セント。↓
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dmで買ったベビーフード(歯科治療後の栄養補給用)。65セント。↓
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姉が送ってくれたバースデーカード。↓
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友達が日本から送ってくれた誕生日プレゼント。↓
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(途中からクリスマス全く関係ない単なるぺもの自慢になっちまった)

# by penguinophile | 2023-12-09 02:31 | 徒然 | Comments(0)

市庁舎

久しぶりに町の中心に行ったら、市役所ががっつりイスラエル応援モードに入っていた…(確か一年半前にはウクライナ国旗が掲げられていたはず)
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そもそもナチスがユダヤ人を虐殺した負い目がある以上、ドイツ政府がユダヤ人の味方に付くのは当然なのだろう。一方でイスラム系移民も多いのが微妙なところ。ベルリンのシナゴーグに火炎瓶が投げ込まれたなんてニュースを聞くと、住まいが都会じゃなくて良かったカモ、と思う事がない訳ではない欧州暮らし。日本は島国でラッキーだったのかも、と思う事もある欧州暮らし。

おまけ:大学学食メニュー。
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麺・豆腐入りみそ汁。材料だけ見れば私好みのハズなのに、絶対口に合わない気がするのはナゼ?

気温が下がったせいか、うちは現在低空飛行気味で、ハナタレ小僧と胃腸炎ムスメが出没し、霜焼けシーズンも幕開け。皆様、どうぞご自愛ください。

# by penguinophile | 2023-10-26 04:11 | 徒然 | Comments(0)

難民

ベルリンの叔母さん宅に滞在中、車で1時間ほど離れた村に住む、夫の従妹(叔母さんの娘)を訪ねた。従妹は獣医だったが、4人の子供を育てるためにそのキャリアは諦め、今はパートタイムで訪問介護をしている。私が13年前に訪ねた時は、田舎の大きな家を購入して、改装しながら住んでいるところで、家の半分は工事現場だった。今はウクライナ避難民を受け入れていると聞き、てっきり家の一部が貸しアパートになっている(←ドイツでは結構あるパターン)のかと思ったら、進学や職業訓練のためベルリンで一人暮らしをしている子供達の部屋を提供しており、がっつり完全同居の大家族状態だった。

ロシアがウクライナに侵攻を開始した直後、従妹は居ても立っても居られず、支援物資を届けるトラックと共に、ポーランドとウクライナの国境に向かった。国境の駅でたまたま出会ったのが、今同居しているウクライナ女性のAさん一家だ。
Aさんとその夫は、ロシアからの攻撃に怯えて地下室に隠れ続けるような生活は子供達のために良くないと判断し、出国を決意する。とは言え夫は軍人なので国を出られないから、Aさん、義母、娘2人(当時9歳,2歳)の4人でポーランドに向かう。国境は無事に越えたものの行く当てもなく、駅で途方に暮れているところで、ロシア語を話す女性に声を掛けられた。「私はベルリンに住んでいる、一緒に来るか?」と問われて迷う。当時はどさくさ紛れに人身売買まがいの事件も起きていたからだ。夫に電話で相談したら行くように促され、自衛のためこっそりナンバープレートを写真に撮り、知らない人の車に乗る。

……小さい娘二人を連れ、どれだけ心細く不安だっただろうと思うが、結果から言えばその賭けに乗ったのは正解だった。その後、Aさんの父親も逃げてきて今は同居しているが、認知症のため一人には出来ないから、Aさんがドイツ語を習ったり働いたりするのは難しい。一方、ウクライナに残った夫は地雷で負傷してしまったが、十分な看護を受けられる環境ではないため、今はAさんと義母が交互にウクライナに通い、夫の看病にあたっている(私達の訪問時、義母はウクライナに戻っていた)。

残念ながら今のウクライナではありふれた身の上話かもしれないが、自分の目の前にいる若い女性が背負っている荷物の重さを考えると、胸に迫るものがある。従妹夫婦はAさん一家に住む場所を提供するだけではなく、一家の人生を丸ごと引き受け、彼女の重荷を一緒に分かち合っているように見えた。「あなた達に出会えて、Aさん達は本当に幸運でしたね。」と従妹に言ったら、「本当にいい人達だし、子供達は可愛いから、私達も嬉しいの。ちょうどいい感じでぴったり合ったのね。」と笑った。天使かよ。尊敬しかない。

日本が受け入れているウクライナ避難民は2000人程度らしいが、ドイツでは100万人を越えている。うちの子供達が通うギムナジウムでも、ウクライナからの児童を引き受けている。次男のクラスに1人、娘のクラスには2人いて、ドイツ語の補修を受けながら、一緒に受けられる体育などの授業は参加している。実はドイツ語が出来ない子供だけを受け入れている学校も市内に一校あるのだが、おそらく定員オーバーなのだろう。私は当初、「まだ小中学生なんだから、すぐに一緒に遊ぶようになり、一年もすればドイツ語ペラペラになるだろう」と楽観的に見ていた。娘のクラスの女子の場合は、確かにその通りになった。しかし娘のクラスの男子と次男のクラスの男子は、未だに殻にこもったままで、クラスメートに打ち解けようともせず、自分からドイツ語を話そうともしない。元々そういう性格なのかもしれないが、おそらく環境の変化に適応できないまま、一年半が過ぎてしまったのではないか。本人や周囲の努力でもう少しどうにかなりそうなものだが、多感な時期の子供達が、戦争のせいでこのように過ごさなくてはいけないのは、心が痛む。

ドイツには中東からの難民も多く、ウクライナ人だけが優遇されているのではないか、というダブルスタンダードの問題も指摘されている。私は小学校で移民・難民児童の親に関わるお手伝いをしているため、これまでにシリアやアフガニスタンから来た人達とも個人的に接してきたから、いささか複雑な思いもある。その一方で、「アラブ系、イスラム教、若い男集団」と「白人、キリスト教、女子供」が助けを求めていた場合、ドイツ人が後者に優先して手を差し伸べたくなる心情も理解できてしまう。ドイツ人の知人がウクライナ人を「私達のような人達」と表現したのが、妙に腑に落ちた。ドイツ人にとって、中東の紛争は「対岸の火事」だけれど、ウクライナ戦争は「隣家の火事」であり「明日は我が身」と感じるのだろう。

……などと思っていたら、今度はイスラエルとパレスチナでドンパチが始まった。ヒトの寿命はたかだが100年程度。天災や疫病で大量の犠牲者が出る事もあるし、病気や事故でも死ぬ。それなのにヒト同士で殺し合ってどうする。そもそも同じ神様を信じてるくせに、いったい何やってんの?……と思ってしまう私はやっぱり、平和ボケした脳内お花畑の日本人なのだろう。

===
科学の進歩は累積と推理に由り、(中略)科学的進歩は無限に続くのである。
しかし利己的な人間性は、社会的には、なお四千年前の哲人と比し、何らの進境を示していない。
是は人間の悲劇である。
Wikipedia「電力中央研究所」松永安左エ門の辞より)
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↑Heavenちゃん(12歳)。かつてはハイパーアクティブ女子だったが、年齢を重ねた今はすっかり落ち着いた。ジャーマンシェパードの毛はゴワゴワかと勝手に思ってたけれど、実はフワフワのモフモフだった。ちょっと撫でたらゴロンと転がって「お腹も撫でてくれてもよろしくってよ」状態になったので、及ばずながら精一杯サービスさせて頂きました。
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↑猫は4匹飼っているが、私達が会えたのは2匹(レアお婆ちゃんとカキお嬢さん)だけで、あとの2匹は滅多に目撃されないとか。

# by penguinophile | 2023-10-15 05:53 | 徒然 | Comments(0)

ベルリン

8月上旬に夏休みが終わって学校が再開しても、子供達は臨海学校だの卓球大会だの自転車ベルギー遠征だの合宿だので飛び回り、「いったいいつ勉強すんの?」と言いたくなるほどだったのですが、2週間で定期試験をひーひー言いながらこなし、また秋休みに突入しました。

「私はもう12歳なのに、ベルリンの叔母さんに一度も会ったことがないのはおかしい!」という娘の主張により、秋休みは4泊5日でベルリンに行く事になりました。叔母さん宅の庭には、叔父さんが趣味で建てた家と離れがあって民泊に使っていたのですが、住宅不足を解消したいベルリン市が民泊の規制を厳しくしたため、貸せなくなってしまったそうです。今では庭の家には離婚した息子さんが住んでおり、私達は離れを使わせてもらいました。それにしても、ショベルカーを借りて地下室付きの一軒家を建てるのが「趣味」だなんて、ちょっと凄過ぎじゃありませんか。

叔母さん宅はベルリン西側の郊外の閑静な住宅街にあり、ゴミゴミした感じは全くないのに、中心地Zoo駅までバスで30分という便利な立地。滞在中にドイツ再統一の祝日があったので、何度か統一前の思い出話になりました。叔母夫婦がベルリンに引っ越したのは統一のずっと前、つまり一家は「東独に浮かぶ西ベルリン島」に住んでいました。もちろん東ベルリン住民よりずっと自由ではあったけれど、気軽にふらりと「島」を出て行けない閉塞感は常にあった、と言います。

ある時、車で南欧に旅行する途中のキャンプ場で、東独の一家と隣同士になります。お互い「げ、東独人だ…」「げ、西独人だ…」とビビったものの、ウォッカを通じた飲みニケーションですっかり仲良しに(^^;。その後一度、彼らを訪ねた際には、事前に行く場所と会う相手を全て書いて届け出なくてはいけませんでした。近くの修道院で開かれたコンサートにこっそり連れて行ってもらったけれど、話すと出身がバレる恐れがあるので、一言も喋れませんでした。今になって思い出すと、まるで夢かSFの世界のよう。東西統一が実現してくれ本当に良かった、あんな時代には絶対に戻りたくない…

…と、しみじみいい話的にまとまりそうなところで、ワタクシは思わず口を挟んでしまいました。
「分断はドイツでは過去の歴史ですが、朝鮮半島では今も現実です。そして時間が経てば経つほど、再統一は困難になります。」
統一したら問題解決というほど単純な話でもありません。ベルリンの壁崩壊から30年以上経つドイツでも、未だに経済格差や意識分断が指摘されており、完全に過去の歴史とは言い難いのが現実。
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↑ゼロ君(7才)は、ハンガリーの野良犬だったのを2年前に保護されました。最初は警戒心が強くて人が近づくだけで怯えていたのが、叔母さん夫婦が愛情を注いだ結果、今ではすっかり人懐っこくなった。番犬としては役立たずで、オツムもあまりよろしくないらしいが、超カワイイ。私達によってたかって撫でまくられてご満悦でした(猫派の夫は手を出さず)。
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↑ブランデンブルク門。環境活動家がスプレーした塗料がどうしても取れず、一部オレンジ色に染まっています(こういう抗議活動が環境にプラスになるとも思えないのだが)。ブランデンブルク門の西側で夫いわく、「自分が両親とここに来た時は、まだ壁があり、壁の西側のこのあたりの台に上って、壁越しにブランデンブルク門を見た」。人間、50歳を超えるとたまに「歴史の生き証人」状態になってきますね。
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↑サンスーシー宮殿@ポツダム。フリードリヒ2世の私的な宮殿。内部見学は日本語音声ガイドあり。
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フリードリヒ2世は、厳格な父王との確執に悩み、同性愛の女嫌いなのに望まない結婚をさせられ、芸術家気質にもかかわらず、戦ってプロイセン国王になった人。王の遺体はあちこち移動したものの、今は生前の希望通り、宮殿の庭で愛犬達と眠っています。ジャガイモの栽培を奨励した王らしく、供物もジャガイモ。「ドイツ料理=ジャガイモ+ソーセージ」という公式は、この王様がいなかったら成立しなかったという事でしょうか。
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↑新宮殿。「新」と言っても1769年竣工ですが。プロイセン王となったフリードリヒ2世にとって、サンスーシー宮殿が手狭になったために建てられ、迎賓館的な役割を果たした巨大な宮殿です。「普通は屋外にある貝殻細工の装飾を屋内に入れてみたよ!ホラ斬新でしょう!」的な部屋などあり、趣向を凝らしていて面白くはあるんだけど、個人的に好きかどうかと問われると若干微妙。
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↑都会に来たらとりあえず寿司を食べたい田舎者(一心@ベルリン)。
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↑Currywurst。ベルリン名物だから一応(ポツダムで)食べてみたけど、「さすが本場の味!美味しい!」とはならず。

# by penguinophile | 2023-10-15 05:49 | お出かけ | Comments(0)

今度は歯医者

6月に体育の授業中に脚を傷めた娘(過去記事参照)、先月は授業のバレーで手を傷めたものの家にあった湿布を貼ったら治ったので安心していたら、今度は「歯が取れた」とべそをかきながら帰宅しました。えーっ、もう永久歯なのにー!!と慌てて口の中を覗いたら、歯は「取れて」はいませんでしたが、前歯が1/3近く「欠けて」いました。その日はお友達の誕生会でボーリング場に行き、ツルツル床の上をレンタルシューズで歩いていた際、転んで顔から着地したらしい。

翌朝、歯医者が診療時間開始と同時に電話して11時の予約を取り、学校の秘書さんと先生に断ってから娘を教室から連れ出し、診察に向かいました。歯医者さん曰く「レントゲンで確認した限り神経は大丈夫そうだし、今のところ炎症もないが、冷たい物を感じられなくなっているのが気になる。まずは修復するが、二週間後に様子を見て、三か月後まで要観察、最悪の場合は根管治療。」そんな訳でまだしばらく気は抜けないのですが、とりあえず外見は綺麗に修復してもらえたので、ホッとしました。
娘は歯医者さんに「しばらく硬い物を前歯で噛むのは避けるように。あと体育でボールを顔で受けたり、肘鉄を喰らったりしないように気を付けて。」と言われました。顔レシーブや肘鉄は普段から避けるだろうよ、と思って帰宅した途端、兄妹で相撲ごっこを始めやがったので、さすがに止めました。二日連続して歯欠けで受診とか、マジに勘弁してくれや。

実はこの歯医者さんとは、娘がお腹の中にいた頃からの付き合いで家も近く、先生の甥御さん・姪御さんは小学校でうちの次男と同じクラスでした。その関係で、私は先生のお母さんと一緒にクリスマスのクッキーを焼きながら、「あの子も早く相手を見つけて結婚してくれないと、私もいつまでも若くないから、こんな風に育児を手伝えるのも今のうちなのに」という愚痴を聞き、「なんかこれ日本でも聞いたな、母の悩みは万国共通か?」と妙な感慨を持ったものです。それから7年、母上の悩みはその後どうなったのかちょっと気になってはいるのですが、さすがにそんな個人的な事は聞けません……。
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夏の終わりから秋にかけて、リスさん達は大忙し。うちと隣家を合わせると、クルミ、リンゴ、ヘーゼルナッツ、ブドウ、サクランボが獲れるせいか、前の家よりリスと鳥がかなり多いです。

# by penguinophile | 2023-10-01 05:18 | 子供 | Comments(0)