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Conclave / Robert Harris

コンクラーヴェ(ラテン語: Conclave)とは「教皇選挙」を意味する言葉で、カトリック教会においてローマの司教たるローマ教皇を選出する選挙システムのこと。Conclave とはラテン語で "cum clavi" (「鍵がかかった」)の意である。(Wikipediaより引用

図書館の英語本コーナーで見つけて読んだ本。Robert Harris氏の本を初めて読んだのは“Fatherland(邦題『ファーザーランド』)“で、以後、追いかけてはいないが機会があると読む作家さん。“Pompeii(邦題『ポンペイの四日間』)“は読んだ。“The Ghost(邦題『ゴーストライター』)“は記憶にないが記録にある。“Archangel(邦題『アルハンゲリスクの亡霊』)“は読んだような気がするが記録にない。

2016年発刊のConclaveは、近未来の世界を舞台に、ローマ教皇が亡くなってから枢機卿団が後継者を選出するまでの話である。舞台はバチカン市国内で、全世界から集まった枢機卿団が選挙中に住むCasa Santa Martaと選挙が行われるSistine Chapelを行ったり来たりする。外界から遮断された状態で枢機卿団が行う選挙が題材なので、登場人物のほとんどが50台から80歳までの男性。名前を覚えるのが苦手な私は途中で混乱してしまい、9人の名前と役職をメモに書いて読み進めたが、基本的にはすいすい読める本だった。

始めて覚えたローマ教皇はヨハネ・パウロ2世(在位1978-2005)、という世代の私が、Conclaveという単語を私が初めて知ったのは、たぶんDan Brownの“Angels & Demons“(邦題『天使と悪魔』)だと思う。トム・ハンクス主演の映画も観たが、今回“Conclave“本を読んでふと思ったのは、「ユアン・マクレガーはCamerlengoにしては若過ぎたんじゃないか!?」という事だった。別に年齢制限がある役職ではないらしいが、それにしても若い。“Conclave“を忠実に映画化したら、30台の若造が出る幕はほとんどないような気がする。まぁ80歳間近ではパラシュートで舞い降りるのはちと厳しいか(^^;。

この本では、有力な候補者達にスキャンダルが発覚して失脚していくが、最終的には適任者が見つかって予定調和の大団円、に終わるかと思いきや、最後数ページでやたらと現代的で思いがけないスキャンダルが持ち上がってどんでん返し。なんだかびっくりしてる間に本が終わった。ともあれ、絶対に一生目にする機会のない、超伝統的な儀式の舞台裏を覗き見る楽しさがある一冊だった。

ちなみに今年の10/31と11/1は宗教がらみの祝日で連休だった。10/31は宗教改革記念日(独Reformationstag)で、マルティン・ルターが宗教改革を始めたことを記念する日。私が住んでいるのはカトリック寄りの州なので、プロテスタントの祝日は通常適用されないのだが、今年は500年祭なので特別に祝日だったらしい。カレンダーを見ても関係ないと思ってスルーしていた上に、学校が秋休み中だった事もあり、危うく気付かずに当日を迎えるところであった。ちなみに翌日の11/1は諸聖人の日(独Allerheiligen)で、こちらはカトリックの祝日なので、毎年お休み。ドイツでは日曜祝日はお店が開いていないので、冷蔵庫が空っぽのまま連休を迎えると結構マズいのである。

この祝日のせいもあり、夫と珍しく大人の会話をしていたら、「鎖国時代の長崎にオランダだけが出入りを許されたのは偶然ではない。カトリックの国は布教目的で日本に近付いたが、オランダ人はプロテスタントで、商売だけに興味があり、布教をしようとしなかったから、交易を許された。」と夫に教わってしまった。もともと社会科が大の苦手な上に日本史を習ってから何十年も経っているとはいえ、日本や歴史の専門家でもないガイジンにそんな指摘をされて「えっ、そうだった!?」と驚くのは、さすがにかなり恥ずかしいものがあった。キリスト教宗派や欧米諸国がみんな十把一絡げの私が、なんだってこんな所に住んでいるんだかねぇ~。

宗教つながりで最近面白いと思ったのがこちらのリンク先の記事
『「クリスマスと正月が同居する日本」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の本質とは』
中でも妙に腑に落ちたのが、
『日本人の宗教観というのはBelieve in somethingではなくて、Respect for somethingもしくはRespect for others、こういうスタイルが日本人の宗教観です。』
という表現。
以前、「ぐりとぐら」で有名な作家の中川李枝子さんが講演会で勧めていた『一〇〇年前の女の子』という本を読んでみたら、田舎の四季を過ごす主人公の日常の中に、神様を敬う行動様式が当然のように組み込まれており、「これは人の心に神様が生きていた時代だなぁ」と思った。
そもそも日本の神様はおそろしく人間臭い。怒って閉じ篭った太陽神を何とかして外に出そうと八百万の神様が集まって裸踊り、騒ぎが気になって外を覗き見た太陽神を引っ張り出して一件落着。などというまるで庶民オヤジ宴会における余興のごとき逸話を聞いて、親近感を覚える人はいるだろうが、神々の偉大さや素晴らしさに感動してひれ伏す人はあまりいないだろう。ギリシャ神話の神々も結構人間臭いかも。山の神や海の神に敬意を払う(respect for)メンタリティは、全知全能の唯一絶対神を信奉する(believe in)メンタリティとは、かなりかけ離れている気がする。神に畏れを抱くという点は共通しているかもしれないが。

以前日本で住んでいたイギリス人女性が、「日本に来てから地震が怖くて不安で仕方なかったが、キリスト教を信じるようになって、平気になった。」と語っており、「なるほど、この人にとって、宗教は確かに必要な物なのだなぁ。」と思わさせられた。その一方で、「キリスト教徒は行動の指針を神に託しているが、日本人はいったい何を根拠に判断して生きているのか?」と尋ねられた私は、返答に窮した。単に私が苦労知らずなのかもしれないが、日常の判断をいちいち神様に委ねる必要性はあまり感じない。逆に「いくらキリスト教徒でもそうしょっちゅう天啓に打たれる訳でもないだろうし、全ての問いに対する具体的な答が全て聖書に載っているとも思い難いが、いったいどうやって神様に判断してもらうんだ?」という疑問を後になって抱いたのだが、答がこの本“Conclave“にあった。

’No one who follows their conscience ever does wrong, Your Eminence. The consequences may not turn out as we intend; it may prove in time that we made a mistake. But that is not the same as being wrong. The only guide to a person’s actions can ever be their conscience, for it is our conscience that we most clearly hear the voice of God.’ (”Conclave”, p.296)

なるほど。しかしこれだと結局のところ「自らの良心に従って行動する」訳で、神様を信じない人でも大差ないような・・・と思ってしまうのは、やはり私が異教徒だからか。キリスト教国に住んでキリスト教に一定の敬意を払ってはいるが、私自身が「信じる者は救われる」と心から信じられる日が来るとはあまり思えない。


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by penguinophile | 2017-11-02 07:37 | Trackback | Comments(0)

ベビースイミング

ベビースイミングなる代物、興味はあれど機を逸したまま現在に至り、気付けば娘はもう二歳。今を逃したらもう一生機会はないんだわ!といきなり思い立って申し込みました。と言っても「ベビー」コースは満1歳までで、私が申し込んだのは1~3歳の「幼児」が親と一緒に水に慣れるコースです(ちなみに4歳以上は子供だけで参加)。息子達が幼稚園にいる平日の午前中、45分×8回で授業料は65ユーロ(約8610円)。

コースが開催される市内最大の室内プール施設には、50mプール(一番浅いところでも全く足がつかないので結構怖い)、水泳練習用の小さめのプール(学校の授業やアクアフィットネスではここを使う)、屋外ジェットプール、長い滑り台(長男と一緒に滑ったらなぜか全然進まず、後ろの人の声が迫ってきて焦った)、別料金でサウナ、そして乳幼児コーナーに小さいプールが二つあります。ベビースイミングが行われるのは、乳幼児コーナーにある、深さが30cmから125cmまで調整できる8m×4mプールです。乳幼児コーナーは気温も水温(32℃)も高めに設定されているのが、寒がりの私には嬉しい(^^)。

コース初日の本日、集まったのは10組の母子、いや正確には父子も1組いましたが、ママも一緒に来てプールサイドで写真を撮っていました。ママさん達の水着は、競泳用水着が一人、ワンピースが私を含め二人、あとはビキニ(日本よりビキニ率が高いかな?)。コーチはスキンヘッドで刺青入りという、およそベビースイミングのイメージからはほど遠い強面マッチョおじさんでしたが、前もって幼稚園ママさんから良い評判を聞いていた先生です。子供は一歳台が多く、うちの娘はお姉ちゃんの方でした。深さ125cmに設定されたプールで、子供を抱っこやおんぶしたり手をつないだりして歩いたり、プールサイドからジャンプさせたり、浮き具や玩具や腕輪を使ったりの45分。泣いている子もいましたが、娘は私の腰を脚でがっちり挟みつつも怖がる事なく遊び、私自身も楽しめました。ただし娘は途中でいったんプールサイドによじ登り、「ママ、隣のプールに行こう!」状態になっていましたが(^^;。

このプールに行くたび「日本ではありえん」と思うのが、土足エリアと裸足エリアの境界がない事と、ロッカーが男女別でない事。土足エリアと裸足エリアの境界は、自宅ですらはっきりしないのですから、公共施設では当然かも(私もかなり鍛えられて鈍感になりました・・・)。シャワーは(入り口にドアがないから見えそうだけど一応)男女別ですが、シャワーからロッカーまでは男女混合ゾーンなので、バスローブを使っている人もいます。更衣室はいちおう男女別にあり、私は家族用と書かれた大きめの試着室みたいな更衣室を使っていますが、ロッカー前で着替える人もいます。自分のロッカーの近くで男性が素っ裸になっているのを発見し、「オイオイおじさん勘弁してくれよ」ってな気分になっちまう事も。まぁそもそもサウナは全裸混浴が基本のお国(過去記事参照)ですから、気にする方がアホなんでしょうけど。ちなみに去年、義母は北海の波打ち際でフルヌードで子供らと戯れ、見習えなかったワタクシは説教をくらいました。しかし私が公衆の面前で素っ裸を披露できるように成長?退化?した暁には、義母は喜んでも実母は嘆きそうです。まかり間違って北海くんだりまで行く羽目に陥った同朋のために申し添えておくと、私の姻戚は眼中にないようですが、浜辺にはちゃんと無料更衣室が完備されていますから、どうぞご心配なきよう。
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by penguinophile | 2013-05-18 18:40 | Trackback | Comments(2)